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旅行レポートVol.1 ~広島編~

2018年3月22日 更新

 一昨年の4月に入社した元新入社員のN.Oです。いつまでこのフレーズを使い続けるかは置いておき、またまた縁あって、今回は「旅行レポートVol.1 ~広島編~」をお届け致します。

 

 「そうだ、厳島神社行こう!」ということで、人生初の広島県へ行ってまいりました。まずは広島市内についてです。広島には、広島県内および市内周辺に走る広島電鉄、通称「広電(ひろでん)」という、交通系統があります。広電は、停車駅の間隔が短く、運賃も安く、かつ営業エリアも広いため、今回の旅行では移動は、徒歩を除けばとほぼ広電のみ、というくらい便利なシステムです。ちなみに「PASPY」という広島県バス協会の発行しているICカードに対応しております。(首都圏のICカードは使用不可でしたが、2018/3/17から、Suica、PASMOなども使用可能になるようです。)

 

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 続いて、広島城と広島護国神社です。
 広島城は1589年に毛利輝元が築いた平城で、堀に鯉が居たことから鯉城(りじょう)と呼ばれています。毛利氏、福島氏、浅野氏の三代によって納められ、水害に悩まされながらも、瀬戸内の海上交通と広大な敷地を有するお城です。現在の建物はSRC造で復元され、ただいま改修中です。天守閣からの眺めは、瀬戸内を一望!とまではいきませんでしたが、目の前にある、建築家 原広司の設計した「広島市立基町高校」が良く見えます。途中、広島護国神社という、戦死者を弔う神社も城址公園内にあります。

 

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 広島城の南西に約1kmほど離れたところに原爆ドームと平和記念公園があります。平日の夕方でしたが、人が途切れることなく、訪れてはお祈りをしてという光景が続きました。原爆の子の像の表情が忘れられません。

 

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 日を改めて、安芸の宮島へ。宮島の最寄り駅までも広電で向かいます。そして、フェリーに乗りかえ、数分の乗船の後、神の島、厳島へ上陸です。
 厳島神社の社殿は平清盛によって造られたと言われています。私が、清盛と仏教の関係を知ったのは、数年前、高野山に訪れた時です。そこで、清盛が絵具に自らの血を混ぜて描いたとされる「血曼荼羅」に出会い、この厳島神社では、具現化した思いを目にすることが出来ました。
 海上にそそり立つ朱色の鳥居、島の入り口に左右に羽のように広がる廊下、朱色に染められた躯体が、この島を神と崇めた平清盛の信仰への篤さを感じさせました。どうやら、この厳島神社を作ったきっかけは、高野山であった老僧の言葉であったと言われており、私の中で、高野山と厳島が繋がった瞬間でした。

 

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 この日は運が良かったのか、午前中に引き潮x鳥居の景色を、午後に満ち潮x鳥居を楽しむことができました。干潟に下りて写真を撮りましたが、猛烈な風で、5分と持たず退却しました。

 

 このようにして広島旅行は終了です。食レポが出来ませんでしたが、もみじシリーズ(饅頭、生もみじ、揚げもみじ)を制覇しました。最後は、厳島で出会った鹿のお尻の写真でお別れです。また次回、どこかへの旅のレポートをお届けします。

 

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