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首里城火災から1年

2020年11月16日 更新

首里城炎上から1年

 

2019年10月31日に沖縄県那覇市にある首里城が全焼しました。
あれから1年が経ちました。

 

ご存じの方も多いと思いますが、首里城(しゅりじょう・方言ではスイグシク)は沖縄が琉球王国の時代の王城です。
日本の天守閣のある城とは違い、北京の紫禁城のような宮殿様式です。(規模はだいぶ違いますが・・・)
でも、正殿正面の唐破風は和様式ですね。唐破風は日本のお寺におなじみの屋根形状ですね。
那覇港を一望できる首里の小高い丘の上に城が建てられたとのことです。

 

実は琉球王朝時代にも首里城は3度ほど消失しているようです。

 

明治12年(1879年)に琉球処分を受け、沖縄県になりますが、
その時代のお城が1年前に焼失した首里城ではありません。

 

最後の琉球王が住まわれた首里城は、学校になったり国宝(旧国宝)になったり、老朽化したので改修したりしましたが、最後は昭和20年(1945年)の太平洋戦争で消失してしまいました。

 

戦後の跡地には琉球大学が建設され、首里城の遺構は見る影もなくなったそうです。

 

昭和33年(1958年)に守礼門が再建され、その後首里城の周辺施設の再建が始まったそうです。
では、1年前に焼失した首里城はいつのものかというと・・・
昭和54年(1979年)に琉球大学が移転したことにより首里城再建計画が本格化し、平成元年(1989年)から現地の発掘調査などが始まりました。
資料も少ないことから設計作業も何年かかかったそうです。
正殿は平成4年に再建され、その後も周辺の再建、整備を進め平成31年(2019年)1月に復元工事が完了しました。工事期間は30年、再建開始から40年かかったそうです。

 

そして その年、元号は令和元年(2019年)10月31日未明に火災で正殿、北殿、南殿などが全焼しました。まるで映画のワンシーンのような大炎上でした。
火災の原因は、電気系統のショートとか言われているが具体的な特定には至っていない。延焼拡大は施設にスプリンクラーなどの設備がなかったから、延焼を食い止められなかったのは、沖縄は木造火災の経験値が低く消火活動も手間取ってしまった など、課題も多くのこした事件でした。

 

あれから1年、首里城再建計画のニュースが報道されました。
世はハロウィンの話題の中、沖縄では首里城再建計画の話題で盛り上がっていたそうです。
県民悲願の再建は、2026年完成計画だそうです。
まぁ、多少遅れるかもしれませんが、私も生きているうちにまた首里城を訪れることができそうです。

 

執筆者:S.K.

 

※写真は修復中の正殿(2018年8月撮影)。工事が30年もかかっているので完成していた正殿もさらに修復していたのでしょうか。足場がかかっていますね。

 

 

 

 

 

 

 

 

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