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日本煉瓦と岩田

2021年5月4日 更新

岩手県花巻市の実家に住む父親が亡くなってから1年半。もうすぐ3回忌が来る。
相続の手続きをする上で親戚関係の同意を得る必要があり、私の3代前の「岩田」のルーツを調べなければならなかった。3代前に東京から花巻に移住してきたらしいとは何となく知っていたが、この際に詳しく調べることにした。司法書士の力も借りた。
3代前は「岩田為吉」と言う名前と言うことが分かった。

昭和60年、岩手放送から出版した「岩手の昭和史」と言う歴史本に「岩田為吉」が載っていることも分かった。

大正時代に花巻に東北最大級の煉瓦工場を設立する計画があったが、その煉瓦工場を建設、運営する知識や技術がなかった。そのため、当時、日本最大の煉瓦会社の日本煉瓦製造(埼玉県深谷市)から人を招致した。それが岩田為吉とその部下だったらしい。そんなことが書いてある。
確かに、私が就学前に遊んでいたのは煉瓦工場の中だった。今では考えられないが、切り出した粘土を運ぶ手押しトロッコを押し、家一軒が入る様な煉瓦を焼く窯に入り、自由に遊んでいた。工場の事務所に入っても皆可愛がってくれた理由が何となく分かってきた。

 

日本煉瓦製造は渋沢栄一らによって明治21年に埼玉県深谷市に設立。東京駅や迎賓館などにその煉瓦は使用された。現在は深谷市に国指定重要文化財として残り、煉瓦史料館として公開されている。
現在、私が住んでいるのも埼玉。3代前がここで働き、部下を連れて花巻へ煉瓦工場を創りに行ったとなると非常に感慨深い。
父親の三回忌を前に深谷の史料館に行ってみたいと思う。
もしかしたら、「岩田」のルーツがもっと深く判るかもしれない。

 

以上

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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