9年の歳月

2020年1月30日 更新

こんにちは、もうすぐ入社2年目のA.Wです。

去年の4月に入社してから早10か月、時間の経過が早く感じます。

まさに”光陰矢の如し”です。

さて、今回のブログは去年8月に訪れた宮城県の南三陸町について書こうと思います。

 

 

2011年3月11日、東日本大震災が発生し日本各地で甚大な被害をもたらしました。

南三陸町にも津波が押し寄せ、建物が流され、多くの方々が亡くなりました。

それから約8年半後の2019年8月、友人と一緒に旅行に行った際に訪れましたが、町全体が活気付いている感じがしました。その時の写真をいくつか紹介します。

 

 

 

こちらの写真は「南三陸さんさん商店街」という所で、建築家の隈研吾氏が設計したことで知られています。

震災で大きな被害を受けた志津川地区の事業者が集まり、2012年に仮設商店街としてオープンし、2017年に現在の本設商店街に移行されました。

商店街にはおいしい海鮮丼が食べられる飲食店や鮮魚店、土産屋やコンビニまであり、

多くの観光客で賑わっていました。

そんな商店街の一角に不思議なものがありました。

 

 

・・・ん?モアイ像?

なぜモアイ像?なんで目が入ってるの??偽物???なんかイメージと違うなぁ・・・

などと思った方々(私もです)、実はこのモアイ像とても凄いものなのです。

このモアイ像はイースター島で作られ寄贈された本物のモアイ像で、他国に寄贈されたのはこれが初めてだとか。なおかつ目の入ったモアイ像は世界に2体しかないらしく、非常に貴重なものなのです。

南三陸とイースター島は1960年のチリ地震以来、友好関係にあるらしく、東日本大震災を受けて2013年にこのモアイ像が寄贈されたそうです。

目が入っている理由として、「目を入れるとマナ(霊力)が宿る。南三陸の悲しみを取り払い復興を見守る存在になるように」という願いが込められているそうです。

さて、続いての写真はこちら

 

 

 

商店街から車で5分ほどの場所にある荒嶋という島で、陸地から長さ100m程の歩道で繋がっており、タブノキ原生林の中に入っていくと荒嶋神社があります。

神社ということで入り口には鳥居もありますが、写真の鳥居は2019年の7月に再建されたもの。その前の鳥居は震災の津波で流されてしまい、折れた柱だけが残されていました。

 

 

この柱、見たところ鉄筋コンクリート製。相当な威力でないとこうはなりません。

建築をやっている人なら、押し寄せた津波の威力が容易に想像できるでしょう。

私自身目の当たりにして背筋が凍る思いでした。

荒嶋のある袖浜海岸は「サンオーレ袖浜」という海水浴場でシーズンになると

大変賑わっており、海水浴客も多く訪れる人気スポットだそう。

行かれる際はぜひ水着を持って行ってみてください。

次で最後の写真です。

 

 

これは高台から町を見下ろした時の写真です。草や土のところばかりですが、以前はたくさんの家が建っていたようです。すぐ近くに震災前の写真が掲示されていましたが、あまりにもギャップがありすぎて、とても現実とは思えませんでした。

写真では見え難いですが、防災対策庁舎や高野会館などの「震災遺構」もあります。

一度見に行ってみるのも良いかも知れません。

 

 

訪問した時は盛土工事の真っ最中で、出来上がったところから道路を敷いていくようです。

一見するとあまり進んでいないようにも見えるかも知れませんが、あちこちで工事をやっていたり、町内の方々や多くの観光客が訪れているのを見ると、着実に一歩ずつ復興への道を辿っているように感じました。

あの日からまもなく9年、完全に復興されるのはそう遠くない未来なのかも知れないですね。

 

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